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天武天皇の年齢研究 神谷政行


 ちょっとばかりでも飛鳥〜奈良時代の事について本を読むと必ずと言っていい程ぶつかるのが天武天皇にまつわる謎である。

数ある歴史書では様々な年齢で記述されているばかりか、当の天武天皇が発起した筈の書紀にすら生誕が明記されていないのである。書紀に生誕年が明記されていないのは父親が違うからだとか実は天智天皇より年上だったからだとか皇族ですらないだとか、正に論者によって十人十色であり何が正しいのか全く以て真相は現時点でも闇の中なのである。

この問題は日本史黎明期の謎としては邪馬台国に次ぐものであろうとわしは考えている。いやむしろ邪馬台国はシンプルである。九州か近畿かの両論だけなのだから(それ以外の論者も一応いるにはいるのだが)。しかしこちらはそうはいかない。65歳、73歳、56歳などなど、これだけでも20年近くも差が出る程の諸説紛々である。更には年齢に異説があるのはやれ皇族の血を引いてないからだとかやれ本当は年上だったからだとかやれ兄弟ですらないだとかもうてんでバラバラなにがなんやらである。


 この謎は他の謎ともリンクする。

1.天武天皇は何故皇太「弟」足り得たのか

 余程特殊な事情が無ければ天皇の子が皇太子となる筈であるのに、何故か天武は皇太「弟」となっていた。

2.壬申の乱では何故正式な皇太子・大友皇子と対抗できたのか

 廃太子となった天武に何故あれ程の勢力が味方についたのか。外交上の問題とか、天智の治世への反感だけで「廃太子」にそれほどの支援ができるものかどうか。


 筆者はこの辺りの謎に独自のアプローチで一つの回答を見いだした。

ネタバレになるので詳細は書かないが、こういった視点は斬新であり、尚且つ説得力も十分にある。言ってしまえば通説に皇太弟となったその理由に十分な説得力をわしは感じ得なかったのだが、筆者の説であれば十分に納得でき、尚且つ壬申の乱の謎も同時に理解可能となる。この視座は達見であるとわしは思う。


 天皇の継承問題は日本の文化をどう理解し、どう引き継ぐかの問題である。わしは文化的観点から女系天皇を容認するには未だ躊躇いを感じるものであるが、天武天皇のY染色体が明らかになればその問題にも一つの結論が出るものと考えている。その観点からは非常に興味深い著書である。


 惜しむらくはやや纏まりを欠く記述、構成である。元々サイトにて記述されたものを纏めた本なのでありそのせいもあって本筋に纏めきれてない印象である。書籍化の際に本論を纏め直して読み易くしていれば説得力も倍増するように思えるのだが。


 

ちなみに著者のサイト → 天武天皇の年齢研究





 

 
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